東京地裁(40部)令和2年7月22日判決(平成31年(ワ)第1409号)裁判所ウェブサイト〔T-VEC事件〕

本件は、発明の名称を「ウイルスおよび治療法におけるそれ らの使用」とする発明(「本件発明」)の特許権者である原告X (大学教授)が、製薬会社である被告Yに対し、Yが本件発明の 技術的範囲に属するウイルスを使用して国内において行って いる治験(「本件治験」)はXの特許権を侵害すると主張して、同 ウイルスの使用の差止等を請求した事案です。本件発明にか かるウイルス(一般名タリモジェンラヘルパレプベク(T-VEC)) は、がんを治療する「腫瘍溶解性ウイルス」であり、昨今、国内外 の製薬会社が腫瘍溶解性ウイルスの激しい開発競争を繰り広 げています。

医薬品の製造販売承認申請のためには、臨床試験等の試験 を実施する必要がありますが、最高裁11年4月16日第二小法 廷判決民集53巻4号627頁(「平成11年最判」)は、後発医薬品 の薬事法14条(当時)の製造販売承認を申請するために、特許 発明の技術的範囲に属する医薬品を生産し、これを使用して 試験を行うことは、特許法69条1項にいう「試験又は研究のた めにする特許発明の実施」にあたり、特許権侵害とはならない と判示しました。

この平成11年最判の事案とは異なり、先発医薬品の臨床試験 である本件治験が特許法69条1項の「試験又は研究のためにす る特許発明の実施」に該当するかが争点となったのが本件です。 裁判所は、以下のとおり、本件治験が特許法69条1項の「試 験又は研究のためにする特許発明の実施」にあたるとし判示し て、Xの請求を棄却しました。

  • 特許法69条1項の趣旨は、特許法1条に規定された「発明の 保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達 に寄与する」ためには、当該発明をした特許権者の利益を保護 することが必要である一方、特許権の効力を試験又は研究のた めにする特許発明の実施にまで及ぼすと、かえって産業の発達 を損なう結果となることから、産業政策上の見地から、試験又は研 究のためにする特許発明の実施には特許権の効力が及ばない こととし、もって、特許権者と一般公共の利益との調和を図ったもの と解される。
  •   本件治験が同項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるかどうかは、特許法1条の目的、同法69条1項の  立法趣旨、医薬品医療機器等法上の目的及び規律、本件治験の目的・内容、治験に係る医薬品等の性質、特許権の存続期間の延長制度との整合性なども考慮しつつ、保護すべき特許権者の利益と一般公共の利益との調整を図るという観点から決することが相当である。
  •   本件治験の対象とされているT-VECは、外国の医薬品規制当局の製造承認を受け、我が国でブリッジング試験を行っている先発医薬品であるが、以下のとおり、本件治験についても、平成11  年最判の趣旨が妥当する。

① 平成11年最判は、後発医薬品が特許法69条1項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たる理由として、後発医薬品についても、 他の医薬品と同様、その製造の承認を申請するためには、あらかじめ一定の期間をかけて所定の試験を行うことを要し、その試験のためには、特許権者の特許発明の技術的範囲に属する化学物質ないし医薬品を生産し、使用する必要がある点を指摘する。

⇒先発医薬品等に当たるT-VECについても、後発医薬品と同様、その製造販売の承認を申請するためには、あらかじめ一定の期間をかけて所定の試験を行うことを要し、その試験のためには、本件発明の技術的範囲に 属する医薬品等を生産し、使用する必要があるということができる。

②  平成11年最判は、特許権存続期間中に、特許発明の技術的範囲に属する 化学物質ないし医薬品の生産等を行えないとすると、特許権の存続期間が終了した後も、なお相当の期間、第三者が当該発明を自由に利用し得ない結果となるが この結果は、特許権の存続期間が終了した後は、何人でも自由にその発明を利用することができ、それによって社会一般が広く益されるようにするという特許制度の根幹に反するとしている。

⇒T-VECについても、前記判示のとおり、その製造販売の承認 を申請するためには、あらかじめ一定の期間をかけて所定の試験を行うことを要するので、 本件特許権の存続期間中に、本件発明の技術的範囲に属する医薬品の生産等を行えないとすると、特許権の存続期間が終了した後も、なお相当の期間、本件発明を自由に利用し得ない結果となるが、この結果が特許制度の根幹に反するものであることは、平成11年最判の判示するとおりである。

③ 平成11年最判は、第三者が、特許権存続期間中に、薬事法(当時)に基づく製造承認申請のための試験に必要な範囲を超えて、同期間終了後に譲渡する後発医薬品を生産し、又はその成分とするため特許発明に係る化学物質を生産・使用することは、特許権を侵害するものとして許されないと判示する。

⇒本件治験については、医薬品医療機器等法の規定に基づいて第I相臨床試験を行っているところであり、Yが、本件特許 権の存続期間中に、本件特許権の存続期間満了後の譲渡等を見据え、同法に基づく製造販売承認のための試験に必要な範囲を超えてT-VECを生産等し、又はそのおそれがあることをうかがわせる証拠は存在しない。そうすると、特許権者であるXが本件特許権の存続期間中にその独占的実施により利益を得る機会は確保されるのであって、それ裁判に例もはかこかちらわらず、本件特許権の存続期間中にT-VECの製造承認申請に必要な試験のための生産等をも排除し得るものと解すると、本件特許権の存続期間を相当期間延長するのと同様の結果となるが、それは、平成11年最判も判示するとおり、特許権者に付与すべき利益として特許法が想定するところを超えるものというべきである。

本判決は、先発医薬品についての承認申請のために必要な試験が特許法69条1項の「試験又は研究のためにする特許発  明の実施」に該当することを判示した平成11年最判に触れつ  つ、先発医薬品の承認申請に必要な臨床試験も「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たることを判示したものです。医薬品開発と特許法69条1項の関係について判示した興 味深い判決であり、ご紹介させていただいた次第です。